『被告人は、認知症になった母親とアパートで2人で生活し、掃除、洗濯、食事の用意、排泄の補助などの身の回りの世話を全て引き受け、長年にわたって献身的に介護を続けてきた。被告人はこよなく母を愛し、一緒に生きたいと思うがゆえ、介護を放棄することなく、最後の瞬間までその介護を続け、遂には母親との心中に至ったものである。一人生き残った被告人は〝もし生まれ変わるのであれば、もう一度、母の子として生まれたい〟と今なお愛する母への思いを述べており、その犯行に至る経緯や犯行動機には、哀切極まるものがある』。
今年2月、京都市伏見区の河川敷で、54歳の息子が、認知症を患っていた86歳の母親を殺害するという悲しい事件がありました。介護のために仕事もやめ、全ての蓄えが底を突いた末の犯行でした。最愛の母に手をかける直前、息子は最後の親孝行のつもりで、母を乗せた車椅子を押して川のほとりを歩いたと言います。そして、母に「あかんねんで。もう、生きられへんねんで」と告げると、母は「そうか、あかんか。お前と一緒やで」と答えたというのです。息子は母の首を絞めて殺害し、自らも自殺を図りましたが死にきれず逮捕されました。冒頭に掲載した文章は、懲役3年を求刑した検察側の論告から抜粋したものです。罪を断ずる立場の検察をして、ここまで被告人の境遇を思いやるという異例の展開。〝法廷が泣いた裁判〟と言われる理由はここにありました。論告に続き、今度は弁護側の最終弁論から抜粋することにします。
『被告人は、両親から、他人に迷惑をかけてはならない。返せないお金は借りてはいけない。借りるくらいなら自分の生活を切り詰めろと教えられ育てられたが、この教えのどこに間違いがあるだろうか。確かに、サラ金で借り入れをしたり、親族に援助を求めたりすれば、このような悲しい事態は防げたかもしれない。しかし、被告人は、両親の教えを忠実に、あまりにも愚直に守ってきたのである。人間としては、弁護人より被告人のほうが、よほど誇り高く、清貧な人である。このような被告人を法的に非難することはできても、道義的に非難することは困難である』。
弁護する自分より、裁きを受ける被告人のほうが人間的に優れていると指摘する異例の弁論。そして、被告人は最後に、涙ながらに次のように語ったのでした。
『母親を抱くための手で、母親を殺めてしまいました。私の手はいったい、何のためにあったのでしょうか・・・・』。
この世の出来事は、全て「人の営み」から生まれます。そして、そこには様々な「人の情」があります。楽しいニュース、悲しいニュース、嬉しいニュース、怒りのニュース・・・・
そこに込められた「情」を見失うことなく報道に臨まねばと痛感させられた裁判でした。
だいぶ前らしいけどね。
号泣だよ(
Powered by "Samurai Factory"